DORCHADAS monarc—réamhrá—
【XANXUS】
インク壺をひっくり返したような黒の中。
XANXUSは怒りに満ちていた。
彼は闇の世界の住人であり、『鍵』を持つものである。
闇の世界と光に満ちた世界を行き来するため、篝火によって示された扉を自由意志のもと開くことが叶うのが『鍵』という権能だ。
世界が隔絶されるにあたり『鍵』はすべての古き幻想に与えられたものの、大半がそれを放棄し、閉じこもる選択をしてしまった。
光ある世界に生まれたものから望まれない以上、幻想は闇から出ては気軽に息も吸えぬのだ。
新しく生み出された幻想の一種、怪異などと称される新しき幻想には『鍵』は与えられない。
それらは光の中でも闇の中においても半端で、歪で、大した力を持ち得ず、どこまでいっても元来有していた『人』というカテゴリーを捨てられないからだ。
人と幻想は、どんなに歪んでみても、最後の境界は越えられない。
そして、逆もまた然り。
光に満ちた世界に幻想の類いが留まるには一定の条件が必要で、それらを満たすためにXANXUSは『組織』に所属することを余儀なくされている。彼だけではない。
スクアーロをはじめ、ヴァリアーと称され、一括りにされる連中は全てそうだ。
だが、違う。
XANXUSは閉じていた瞼を開き、闇が帳を下ろす宙へと鋭く視線を走らせた。
『己こそは、闇世界の玉座の主であり、スクアーロに王の権能の一部を分けてやった真なる王である』という矜持こそが、彼とその他の間に横たわる大いなる差異であった。
ドカスとしか思えぬ不出来な部下の報告により、『組織』は黄金瞳への干渉を撤回し、
経過観測、不測の事態にのみ強制保護の対象とする旨を再度通達してきたことが、XANXUSの最も気にくわぬ点であり、思い通りにいかぬ現実への怒りの根源であった。
彼は闇世界の復権を望んでおり、光に満ちたる世界に憎悪を抱くものである。
ひどく窮屈な場所におし込められた闇の住人たちへの処遇を、XANXUSは他の幻想のように受け入れることはしなかった。
多様性が求められる世界。少数派といえど、いかなる選択も否定されることがないのがこの世の必定。
ならば。
根城として扉を置いた国立中央美術館。職員達すら気が付かない、無意識の範疇で増えた鉄扉の奥。黒衣の男は重い腰を殊更ゆっくりと上げた。
不安定で貧弱な人間から変じた程度の『幻想もどき』とは格が違う。
ちまちまと些事を重ねずとも、指先ひとつで炎は燃える。光が眩しければ眩しいほど、闇もまたその色を深めるのだから。
目にしたことのない、真正の闇がいつの間にか夜を彩っていようとも、愚鈍な人間はその差をも忘れて安寧に身を委ねるしかないのだ。
古き時代の遺物、永く伝えられた調度品や美術には、少なからず人間の想念が宿っており、微かながらに幻想へと変じる色が混じっている。
気を練り、寄り集めて、熱を生む。
時間をかけざるを得なかったが、闇の奥底に眠っていた永さを思えば、朝露が葉から流れ落ちるがごとき些細な瞬きだ。
『組織』の呪縛から解き放たれるには、力を蓄えることと、どの程度の範疇であれば盟約を超えられるのかという見極めが必要だった。
ようやく。ようやくだ。
闇を抑えられるだなどと、驕り高ぶる人間ども。
鼻を明かす程度では済まさない。
うっそりと足を踏み出せば、背後を埋める闇からカツ、カツ、とふたつ、みっつの足音が重なる。
「黄金瞳——」
「あーんなお子ちゃまに何かできるとは思えないけど」
「放置して後々つまらない障害になるくらいなら、今の内から摘んでおくのも選択肢のひとつだね」
「めんどくせー」
四つの声音が追随し、綻びるようにボロボロと闇の中へと溶けていく。
重々しくも、震えもなく音もなく、身の丈をゆうに越える扉はひとりでに開き、赤い瞳が進む先、夜に燈る光の先は見えず。
真正の闇が夜を侵す。
以上、本文より一部抜粋(ページ編成・改行はHP用に再編しています)